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季語集

季語集

打水(うちみず):夏の季語。涼(りょう)を取るために、露地に水を撒くこと。水が叩きつけられる姿から、水を打つとする。なお、科学では、液体の水が、気体の水蒸気になろうと、気化熱を奪い、涼しくなると説明される。しかし、打水はもっと魅力的だ。夏の乾いた静寂のなかへ、投げやりに撒かれる水の呆気(あっけ)なさがあり、沸きあがる水蒸気が醸(かも)しだす気怠さ(けだるさ)がある。打水は、水の姿をていねいに見つめた季語だ。

空蝉(うつせみ):夏の季語。脱皮した蝉の抜け殻は、行為の空白を感じさせる。脱皮した蝉はもう実在せず、ただ行為があったとだけ知られることで、より行為の生々しさが想像される。事物は直接に描かれずに、間接に描かれる。

解夏(げげ):夏の季語。もともとは、仏教において、夏の修行が終わり、身心が解放されること。転じて、ある特別な時間から、人間が解放されると、解夏と呼ぶ。西洋哲学において、時間は形而上に概念として考察されてきた。東洋哲学において、時間は形而下に名前を持つ。

驟雨(しゅうう):夏の季語。走るように降りはじめ、逃げるように降りやんでいく、夏の雨。雨の唐突さと短さが、儚さを感じさせる。

茄子(なすび なす):夏の季語。茄子の魅力は、怪しさと気安さが、同居している点だ。怪しいが、恐れるほどではない。気安いが、いつも一緒にいるほどでもない。人間とは、不即不離(ふそくふり)のほど良い関係を保っている。また、お盆になると、精霊馬として、茄子は乗物になる。

茉莉花(まつりか):夏の季語。名前に、草冠が豪華に連続する。東洋では茉莉花、西洋ではジャスミンとも呼ばれる。花木の一種で、花は鋭利に芳香を放つが、あまり持続せず、気まぐれなところがある。木蓮よりも品がなく、木蓮よりも愛嬌がある。また、花は乾かし、喫茶する。花を飲食する習慣は、興味深い。

初嵐(はつあらし):秋の季語。初嵐は、夏を終わらせ、秋の訪れを告げる。夏の喜びを、喜びのままにしないで、私たちの頬を叩いて、どこか物悲しさに変えてくれる。物悲しさは、なにかが足りていないわけではない。なにかが欲しいわけではない。物悲しさは、喜びの延長なのだと、初嵐は告げる。

年賀状(ねんがじょう):冬の季語。年賀状は、新年の訪れを告げる。年の終わりに切れ目を入れて、お祝いをする風習は、あらゆる文化にみられる。激しく騒ぎ回る者もいれば、粛粛(しゅくしゅく)と静寂を楽しむ者もいる。陽の快感と、陰の快感だ。インターネットの登場によって、気軽に通信ができるようになっても、年賀状は廃(すた)れなかった。その理由は、年賀状が、情報通信ではなく、一年の 振り返りという情報整理だからだ。

焼菓子(やきがし):無季。熱によって整形された菓子は、目的がない。人間の造形物には、目的がついてまわる。ビルには保守性が、携帯電話には機能性が、求められる。菓子には、求められない。菓子は、保守性も機能性も求められない。菓子は、栄養も求められない。菓子に、目的が在るとすれば、食べられること。菓子は、砕かれ、食べられ、五感に供されるために、在る。食べられる瞬間を待つために、菓子は、華々しく整形される。

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